黄砂

先週の木曜日前後の黄砂は、久しぶりに大量でした。

 モンゴルから遠路はるばる、偏西風に乗り、南アルプスの山々を軽々と飛び越え

 甲府盆地の奥底まで、ご苦労さまな旅でした。

 窓のサンや物干し竿には、いつも感じる以上に、粘り気のある黄砂が積もりました。

 少しニオイも感じてしまいました。

 花粉症と上手くお付き合いしている方々は、室内に入る前には、花粉を落とすために洋服を払ったり、直ぐに入浴したり

 鼻洗いをしたりなど、工夫されていることでしょうが、黄砂対応は特別だったと思います。

 私は、今度の週末は、黄砂で汚れてしまったかもしれない衣類を含めて、

 洋服ダンスの整理整頓をしようと計画しました。

 私の母方の祖母は、105歳で向こうの世界へ戻りましたが、最後まで認知が入らず、眠るように

 これぞ大往生だと思える生き様を見せてくれた人でした。

 私は、祖母に多くの影響を受けて成長しました。

 掃除が好きなのも、祖母の影響だと思っています。

 5月の連休は、かなり高齢になるまで、率先して畳を干して、洋服を日干しして冬物と夏物を入れ替えていましたが、

 私が、それなりに年を重ねてからでも、そうするように声をかけられました。

 その注意が、実に細かかったのです。

 洋服のほこりは払うように、とか

 洋服の丈の短いものから並べて、風通しをよくするように、とか

 色の薄いほうから、濃いほうに並べる、とか

 タンスに7割程度にして、自分の好まないものは、寄付したり処分したりするように、とか

 でも、良いことがあったとき身につけていた洋服は、しばらく見えるように飾っておくと良い、とか

 クリーニングから返ってきたビニールは外すように、とか

 オシャレな人だったから、練った香りのある虫よけ剤を使っていたように記憶していますが、

 防虫剤を入れる、とか

 当時は、私は未熟者でしたから、うっとうしく感じました。

 でも、今振り返ると、理にかなっていて腑に落ちることばかりです。

 ふと、無意識に行っている行動には、祖母から教えてもらったことが沢山刻まれているようにも感じますが

 今こそ生きていて、その知恵袋を聞き取り残しておきたいと、叶わぬ願いが湧き上がります。

 感謝の気持ちを伝えるために、時間を作って、お墓まいりにでも出かけてみようと思いました。

 当たり前にように、側にいる存在は、当たり前過ぎて、そのありがたさを感じなくなりますが、

 私には、96歳を迎えようとしている、未だに現役で歯科医師を細々でも続けている実母が、

 「そういえばいる」くらいに元気で生活しています。

 何らかの支援が必要な年齢にあって、職員を雇用し職員の生活を守っている、そんな人物が側にいます。

 元気でいることだけでもありがたいことなのに、私からではなく、母が私を心配している、そんな大器の人物こそ、

 本当は一番私が感謝しなければいけない存在なんだと思っています。

 それでもなかなか言えないので、

 今日はブログから、母に、たくさんの祝福と共に、普段の感謝を伝えます。

 「ママちゃん(私達は、母をこう呼びます。)いつもありがとう。

 私たちは、もう十分に独り立ちしているから、心配しなくて大丈夫。

 ママちゃんは、自分のことだけを大事にして、最後までママちゃんらしく楽しんでください。」

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